吉田新田の大井戸

img_5269大岡川にかかる旭橋の近くにある井戸です。
この大井戸は、1656年から約11年もかかって開墾された吉田新田を開いたときに掘ったもので、水質はすぐれ、二百年にわたって付近住民の飲料水となり、特に災害(大正大震災)に際しては、防災の役割を果たすなど、市民生活に寄与しました。

この井戸は、大井戸と呼ばれ、初代の吉田勘兵衛(1611~1686)が、萬治年間、吉田新田(今の伊勢佐木町吉田町一帯約35万坪の入江)を開いたときに掘ったもので、水質はすぐれ、200年にわたって付近住民の飲料水となりました。明治中期、大岡川の水底工事や町に水道が普及してからは、飲料以外にも使われました。特に災害(大正大震災など)に際しては、防災の役割を果たすなど、市民生活に寄与したが、昭和20年、進駐軍によって埋め立てられてしまいました。今回復旧し、横浜都市開発史上の一記念物としてのこすものです。
当時、その深さは、測石上端より底まで9.3㍍、水深6.9㍍ありました。
平成20年9月  吉田興産株式会社

媽祖廟トワイライト

img_5467「横浜媽祖廟(よこはままそびょう)」に祀られている神様は、媽祖様だけではなく、恋愛成就のパワースポットとして知られるようになった神様である月下老人様が祀られています。

媽祖様   航海の安全、戦争から守る神様、無病息災、家内安全
文昌帝君  学問の神様
臨水夫人  安産の神様
註生娘娘  子宝の神様
福徳正神  金運アップの神様
月下老人  縁結びの神様

と、多くの神様が祀られています。
風水による最強のパワースポットに祀られている縁結びの神様ということで、特に月下老人は有名なのです。

夜空にニコニコマーク!

img_5651-2昨夜は横浜には大変な雷雨になりました。
雷鳴がとどろき、激しい雨が降りました。
花火大会は19時からの予定でしたが、18時30分には打ち上がりました。

「もやい祭り花火大会」はヨコハマベイサイドマリーナが誇る、夏の一大イベントです。

「もやい祭り」は、愛艇を守ってくれた古くなったもやいロープに感謝を込めて、もやいロープの供養をするお祭りです。

石川商店街~アイキャナルストリート

img_5500-2JR石川町駅元町口を降りて、元町・山下地区へ向かう途中の商店街です。
2013年(平成25年)3月にバリアフリー化環境整備事業が完成し、新愛称「アイキャナルストリート」と共に商店街が生まれ変わりました。

沿道に歴史ある風景の写真が入ったイルミネーションが置かれています。
写っているのは横浜市電です。
明治・大正・昭和の時代を約70年間、走り続けてきた路面電車「横浜市電」です。

吉田橋関門跡

img_5366開港直後、開港場への出入り口として、ここに吉田橋が架けられました。
橋には関門が設けられ、開港場の治安を図ったのでした。
関門を境に海側を関内、陸側を関外と呼びました。

碑文
史跡 吉田橋関門跡 横濱市長 平沼亮三書
昭和二十九年月建 開国百年祭記念
横浜市地域史跡 吉田橋関門跡(よしだばしかんもんあと)
平成五年十一月一日 登録
所有者 横浜市
安政六年(一八五九)六月二日、横濱が開港となって交易場、貿易港として栄えるにしたがい、幕府は、開港場の施設の充実にあたり、陸路である東海道からの横浜路を開設するとともに、当時、伊勢山下から都橋付近まで入海であったことから木橋を架け、その後、本橋が吉田新田から架橋されたことにより「吉田橋」と呼ばれました。
吉田橋が設置されてからは、当地は交通の中心地となり、その治安を図るため橋のたもとに関門を設け、武士や町人の出入りを取り締まりました。
関門は、当初港町側に設けられましたが、文久四年(一八六四)二月に吉田町側に移設されました。
関内、関外という呼び名はこの時以来で、関内は馬車道側、関外は伊勢佐木町側を指し、その関門は明治四年に廃止されました。
平成六年三月
横浜市教育委員会

馬拉糕

img_5457中華街の同発で1コ260円で売られています。

馬拉糕と書いてマーラーカオと読みます。中国風の蒸しカステラとも言われているパンですが、その伝来は日本のカステラとは違ってオランダではなく、マレーシアから伝わったという説と中国の広東地方で作られ、重曹やかんすいを入れる事によってできた褐色の色合いがマレーシア人の肌の色に似ていた事からこの名がついたという説があります。
現在では主に中国の南部や香港などで食べられています。

マーラーカオは見た目からもふんわりとした食感が伝わるパンですが、食べるとしっとりとした感触もあり、卵と砂糖(黒糖や三温糖を使う事が多い)が効いた甘く優しい味わいが特徴的です。
生地をふっくらと膨らませる為には素早くサックリと混ぜて余分なグルテンを出さないようにし、室温でガスを十分に発生させると良いとされています。

マーラーカオの名前の意味は「マーラー」の部分はマレーシア、「カオ」の部分はケーキを意味しています。

清正公堂

img_5258「清正公」とは、豊臣秀吉の家来として有名な加藤清正ことで、開運の守護神、勝負の神様として、広く庶民大衆の信仰を集めてきたそうです。

吉田新田を完成させた吉田勘兵衛が、新田守護の為、1676(延宝4)年に吉田新田北ニッ目(後の長者町8丁目)に、自性院日身上人を招いて「栄玉山常清寺」を建立しました。
1812(文化9)年、常清寺の境内に「清正公堂」が開堂し、「長者町の清正公さま」と呼ばれ親しまれていました。
しかし、横浜大空襲で常清寺は焼失し、現在の清水ヶ丘に移転しました。
戦災を免れた清正公堂の周辺は盛り場として栄えましたが、お堂の維持管理が困難になり、1978(昭和53)年には常清寺の側へ移転しました。
現在も長者町8丁目に「清正公通り」という名前を残しています。
その後、吉田勘兵衛の子孫が土地を提供し、公堂を建設しました。
ちなみにこのあたりは吉田勘兵衛の住居があった場所です。

横浜橋通商店街

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img_5127横浜市営地下鉄の阪東橋駅すぐのところにある、古き良き商店街の雰囲気が残り、活気のあふれる「横浜橋通商店街」です。
「横浜橋通商店街」は戦前に地域に密着した商店街として始まり、戦後間もなく「横浜橋通商店街商業組合」が設立されて、現在に至る歴史ある横浜の商店街です。
近くに住み、日本テレビ「笑点」の終身名誉司会者でもある桂歌丸師匠が名誉顧問を務めていることでも知られます。
350mほどのアーケードには八百屋さん、肉屋さん、魚屋さん、惣菜屋さんをはじめとする約130店舗の商店が連なります。
安くて良いものが並び、人情味があり、楽しく買い物をして過ごすことができるのです。
年期の入った風情ある店構えの商店や、お店ごとに工夫のある商品陳列、昭和の雰囲気が色濃く残る路地など、商店街を取り巻く色々なものを眺めながら歩くだけでも楽しいです。