インド水塔~山下公園

1v8a49761v8a4974山下公園の一角、大桟橋側の端の場所に建つ1つの塔がある。インド水塔という名称のこの塔が、関東大震災と深い関わりがあるのです。

1923年(大正12年)に起きたこの大災害では、当時横浜に在住していたインド人116人が被災し、死者も28人を数えました。横浜市民は町の復興と共に、被災したインド人にもその救済の手を差し伸べたのです。そして、横浜で住む場所を失ったインド人を横浜に再び招くため、住宅の手当てなどにも力を注いだのであす。

1939年(昭和14年)に在日インド人協会から寄贈されたこの塔は、そんな横浜市民のインド人に対する援助への心からの感謝、また、不幸にして亡くなった同胞の慰霊としての意味も含んでいると言われています。その外観は塔と呼ぶには小ぶりとも言えますが、丸いドーム状の屋根が目を引く寺院建築の様式を取り入れた、国柄を表す非常に美しい造りになっています。また、内部を覗くと天井部の装飾が大変素晴らしく、色とりどりのタイルを使用したモザイク模様は思わず見とれてしまうほど完成度が高いのです。

県の名前を持つ小学校

img_2570京急仲木戸駅の近くにある横浜市立神奈川小学校です。
KANAGAWAの文字がある門があるステキです。

1873年(明治6)「学制」施行に伴い、浦島町・仲木戸・神明の3筆学所が統合して、「神奈川学舎」ができる。
1875年(明治8)神奈川町字御殿に新校舎が落成(1代目校舎)。第一大学区第七中学区第83番小学校「神奈川学舎」と称して、開校式を挙げる。この日を本校の創立とする。
「神奈川学校」と改名した。
1946年(昭和21)浦島国民学校に統合された。(この間11年間本校は消失した)
1960年(昭和35)「横浜市立神奈川小学校」として復活、開校した。
2014年(平成26)創立140周年
                       (横浜市立神奈川小学校HPより)

「日本の鉄道の恩人」

img_24191872年(明治5年)、日本で初めて新橋〜横浜間に開業した鉄道。その鉄道敷設のために招聘されたイギリス人の鉄道技師がエドモンド・モレルです。
当時、日本はまだ開国間もない頃で、鉄道の技術などは皆無だったと言われています。そこで明治政府はイギリス公使ハリー・パークスの推薦を受け、明治3年にセイロン島(現在のスリランカ)で鉄道敷設の指揮をしていたモレルを日本に招きました。彼は初代鉄道兼電信建築師長に就任し、以後、日本の鉄道建設の指揮に当たったのです。
枕木は当初イギリスから鉄製のものが輸入される予定でしたが、「森林資源の多い日本では木材を使用した方がよい」とモレルが進言。国産の木枕木に変更されるなどし、日本の鉄道の将来を見据えたその功績から「日本の鉄道の恩人」と称賛されました。
しかし、彼は来日前から肺結核に病んでおり、疲労もたたって、日本の鉄道開業の晴れ舞台を見ずに、明治4年この世を去り、日本人の妻も後を追うように亡くなってしまいます。
JR桜木町駅のコンコースには彼の偉業を讃えレリーフが掲げられています。

新子安駅

img_2421京浜東北線の新子安駅の駅舎はJR線と京急線の間に位置していて、上には道路があるという何とも狭苦しい立地条件の駅です。駅を出ると目の前が「京急新子安駅」です。

img_2423京急子安駅ができたのは、明治43年のことです。当時の駅名は新子安で、その後、昭和18年に京浜新子安となり、現在の駅名になったのは、昭和62年6月1日からです。

キキョウ

1v8a5204日本、朝鮮半島、中国原産で、毎年花を咲かせる多年草です。日本では秋の風物詩や身近な野草として万葉の昔から親しまれています。英名の「バルーンフラワー」の名のとおり風船のようなつぼみが特徴的です。

鉢植えや庭植えで楽しむほか、切り花としても多く利用されます。お盆に仏前へ供える盆花として、オミナエシとともに用いられます。
園芸店などではごく当たり前に苗が見られますが、野生のものは減少の傾向にあり、環境省のレッドデータでは絶滅危惧Ⅱ類(UV)に指定されています。主に日当たりが良い山野に自生します。

@根岸なつかし公園 旧柳下邸

KEIKYU 神奈川新町駅

img_2514-2img_2519神奈川新町駅は、快特以外は全部停まる駅です。この駅で車両の連結などが行われます。
神奈川新町駅ができたのは1915年(大正4年)のことです。京浜急行線の駅の中では、比較的歴史のある部類といえます。開業当時の駅名は「新町」で、1927年(昭和2年)4月に、現在の駅名となりました。ここには京急の検車区や車庫があります。架線の多さに圧倒されます。一休みをしている車両を見ることができます。線路の方へと目をやれば、車両点検に精を出す鉄道マンたちの姿を見受けることができます。

駅前はちょうど「神奈川宿歴史の道」の終点です。歴史の散歩道として、横浜市のルーツを楽しく訪ね歩くことができます。駅近くの神奈川通東公園のある場所には、昭和40年に移転するまで長延寺があり、かっての開港当時は、オランダ領事館として利用されていました。そこから少し仲木戸の方へ向かうと良泉寺があります。

子安浜

img_2440入江川河口は子安浜と呼ばれ、江戸時代から漁師町として息づいてきた地区です。新子安駅周辺の高層ビルとの対比がとても興味深いのです。
京浜間の海岸は戦前から既に埋立が行われて工場が進出するようになり、高度経済成長期にはそのピークを迎えたのですが、それと反比例するように東京湾の漁業は衰退の一途を辿りました。こうした中、いまだ子安では漁業が行われています。
img_2495狭い運河にギッシリといくもの舟がつなげられています。首都高が南岸を覆っているため狭い運河が余計狭く感じられます。もっとも、つながられている舟は漁船のみならず、釣り船、屋形船、プレジャーボートなど様々です。首都高下の影になった運河中には朽ちた廃船が何艘も処理されることなく沈んだままになっています。
建物といい舟といい、全てが雑然としている光景は、平成となった今ではなかなかお目にかかれないのです。

山下公園の海

1v8a4950山下公園前の海がとてもきれいになりました。
トライアスロンやボートの大会などが開かれ、山下公園前の海がスイムの会場になっています。

山下公園は、昭和5年3月に開園した公園です。関東大震災のがれきを埋め立てて作られました。海への眺望、記念碑や歌碑など見どころの多い公園です。横浜ベイブリッジや港を行き交う船の眺めがロマンチックなんです。童謡で馴染みの深い「赤い靴はいてた女の子」像や、在日インド人協会から昭和12年に寄贈された「インド水塔」、姉妹都市であるアメリカ・サンディエゴ市寄贈の「水の守護神」など、海外との豊かな交流を感じさせる記念碑が多いことでも有名です。また、山下公園は横浜のバラの名所でもあり、毎年春と秋の時期には、沈床花壇にたくさんのバラが咲き誇ります。

門前を電車が走る神社

img_2532img_2543京浜急行線の神奈川新町駅と仲木戸駅の中間辺り、やや神奈川新町駅に近く、線路脇に鬱蒼とした木立に包まれて笠のぎ稲荷神社があります。
歴史は古く、社伝によれば平安の天慶年間(938~947年)の建立、京都の伏見稲荷の分霊を勧請したものという。もともとは現在の浦島丘の稲荷山中腹にあったらしいですが、1689年(元禄2年)に山麓へ遷座、1869年(明治2年)には社地が鉄道施設用地となって現在地に移っています。社殿は関東大震災や横浜大空襲の際に失われ、現在のものは1979年(昭和54年)に再建されたものです。

特徴的な名の神社ですが、旅人が社の前を通りかかると不思議にかぶっていた笠が脱げ落ちるというので、「笠脱(かさぬぎ)稲荷大明神」と呼ばれるようになったものを、後に別当能満寺の僧が「笠脱」から「笠のぎ」に改めたのだという。「笠のぎ」の「のぎ」は、本来は「禾(のぎへん)」に「皇」と書きます。「かさのぎ」が「瘡(かさ)退き」に通じるからか、参拝すると瘡(できもの、はれもの)が直るという言い伝えもあるらしいです。